『愛』のハンタイ?

こんばんは(^O^)/

今日は尊厳死についてのセミナーに参加しました。
尊厳死とは…自分の精神が健全な状態の時に、終末期の医療についての希望を意思決定し、延命治療をしないなどを求めた自然死を指します。
ただ、海外で『尊厳死』というと薬や毒物を用いた自殺をも含めることがある(日本ではこれを『安楽死』と呼んで区分している)ため、何かと誤解を受けることが多いものです。
ただ、終活が市民権を得たいま、身近な家族の延命治療を経験した方などを中心に、尊厳死について真剣に考える方が増え、終活セミナーなどでも質問を受けることが多くなってきました。
で、僕もちゃんと勉強し直そうとセミナーを受講させていただいたワケです。
今日の講師は『日本尊厳死協会』の方で、内容はとても分かりやすく、有意義な時間を過ごすことができました。
その中で、

 
『愛の反対とは何か?』

という話が出ました。
答えは…『無関心』

『愛の反対は憎しみではなく無関心である』

これはつまり、愛するということ=関心を持つことなんですね。
人を、地域を、自然を、国を愛する。
これはその対象への関心無くしては成り立たない…その通りやなぁ〜といたく感心。
その説で行くとホンマ、大阪のおばちゃんはとても愛に溢れた人種ですよね(笑)

…と、ここまで書いてから念のため調べてみました。
講師の方はこの言葉をマザー・テレサの言葉として紹介されたのですが、本当はエリ・ヴィーゼルという方の言葉だという説がチラホラ…
そして、聖書の言葉の引用だ、いや、違うなどとここも説が分かれていますが、真偽のほどは僕には分かりません。
まぁ良い言葉なので、出典は諸説あるということ込みで紹介させていただきました(^_−)−☆